「活動しようとする意思」では発動せずに「練習試合を開催しようとする意思」では発動する「不戦の呪い」。
両者の違いはいったい何なのか考察する。

誰でもわかる違いとしては「試合をするかしないか」の違いである。
試合をする場合としない場合とでは、はて、何が違うか考えてみた。

1.対戦ネゴシエーションの有り無し
2.勝敗の有り無し
3.相手の有り無し
4.スタメンの有り無し
5.遺恨の有り無し
6.モチベーションの有り無し
7.ワクワク感の有り無し
8.過去の業(カルマ)の有り無し

こんなところであろうか。

ここで前回同様また消去法で考えてみる。

対戦ネゴシエーションのある練習試合(今回)も無い練習試合(ミラーズ)もボツってるのでこの線は無い。
遺恨の有り無しはグリーンウィングスさんには遺恨が無いのでこの線も無い。

これにより2つ除外され
勝敗の有り無し、相手の有り無し、スタメンの有り無し、モチベーションの有り無し、ワクワク感の有り無し、過去の業(カルマ)の有り無しに絞られた。

これらを練習試合を開催しようとする意思と関連付けてみる。

勝敗の有り無しで変わってくるのは「勝ち負けに拘る意思」練習ではない意思である。もしくは勝者に対する羨望や嫉妬、敗者に対する軽蔑や情けである。
世の中生きていれば勝負事ばかりである事は皆さんお気付きの通り。試験、就職、出世、抽選、カジノと枚挙にいとまが無い。好戦的、平和主義にかかわらず、である。
普段激烈な生存競争に晒されている人間ほど、余計な争い事になど巻き込まれたくは無いのは、意外とコックが自宅では料理をしないという話と似ているかもしれない。
そこでこの説を推してみる。
「普段暇が無い程、生存競争をしている人間の集合意識が無意識に勝ち負けに拘るイベントを拒否し、ネガティブエナジーを発し試合前日、当日にピンポイントで意図せず雨乞いの様な効果を発揮してしまっている説」だ。
試合がなければ当然勝ち負けは発生しない。これ以上の現世での無益な戦いを拒絶する優しいマインドが雲を呼び雨を降らせていると考えると、なんとも涙の出る話ではないだろうか。

次は、相手の有り無しに関して考えてみる。